K's Blog
Instagramから画像引用がメイン。鉄道写真をよく投稿します。
E657系試運転

▲11.5.27 牛久~佐貫間にて撮影
試9302M 銅像山踏切の定番をゆくE657系。
新車厨の名にかけて・・・というわけで、しょっぱなの試運転に出撃。
とりあえず最初はかぶりつきで、表情を強調して撮っておきたいっつーことで、牛久~佐貫の銅像山踏切の定番撮影地でキッチリしとめてきた。ひさしぶりにテレコン×1.4を使ったよ。
以前の記事でイメージ画像をアップしておいたけど、ホントイメージのまんまだった。一応ロービームの状態で接近してきたけれど、ハイビームのときは一体どんな感じになるんだろ? E653系にはあったハイビーム時のみ点灯する上部のヘッドライトらしきものが見つからないけれど、E657系には存在しないものなんかね?
ちなみに、フロントガラスの上にはテールライトが仕込まれとります。
それにしても、光のあたりからして、485系後期型のようなゲンコツスタイルでもなく、JR西のような683系のような流線型スタイルでもない特異な前面のスタイルだな。

▲11.5.27 取手~藤代間にて撮影
試9303M 田園地帯をゆくE657系を側面がちに。
前面の写り方を比較したいため、↑↑の画像と違う場所&アングルでもう1枚。フロントガラスの斜め部分が強調されすぎてしまい失敗。今後は動画サイトを見比べて、いい撮り方を研究していく余地がありそうだなぁ。。
おまけで、駄作動画を投下。銅像山踏切、意外とキャパシティが狭いもんで、プレートを使っての動画用カメラがセットできず、クランプポッドを使っていたため、列車の振動にやられとります。
なるかつ乗り通し かつ編

▲06.5.20 勝浦にて撮影
ケヨE15の廃回からしばらくして、俺は初となる一眼レフPENTAX istDLを購入した。
コンパクトデジカメのデジタルズームを駆使しないと、「鉄の塊」の走行写真が撮れないとだんだんわかりはじめてから、機能に物足りなさをおぼえてしまい、ちゃんとしたカメラで撮ろうと決意。その意気込みもあってか、貯金をほぼ使い果たすかたちで新品を手に入れることにした。
そこで、俺は青い103系の面影をわずかに残していた青い201系を追うことにした。あのときの失敗を少しでも繰り返したくない、そう思った。とりあえず、当時は腕もクソもへったくれもない状態だったんで、スケッチ程度にできる範囲のことをすることにした。
ある日、土日きっぷを手に入れた俺は、ほぼ消化試合というかたちで「なるかつ」のうち「かつ」のほうを乗りとおしてみようと思った。201系分割編成の真骨頂なる運用である。
当日、東京発車地点で運用が乱れていたため、新習志野で車両交換をおこなうまで違う車両だったが、分割シーンも無事に見届けることができ、また誰もいない車内でしっかりスナップすることができた。

車両交換後に新習志野から乗りとおしたケヨ51編成がいくらかたくましくみえた。ここで運転士さんともお話もさせていただくことができ、はじめて現場関係者との意思疎通が実現した。
ただ、鉄の塊を撮るためだけの世界じゃない、ここは。当時を振り返るとそう思ったに違いない。
デビュー戦

▲05.12.13 新習志野にて撮影
回9786M 103系ケヨE15編成の廃回を撮る。
青のアイツとはまったく関係ないだろうが、俺にとっては思い出のデビュー戦。これを機に、いわゆる「撮り鉄」の世界へと入っていった。これまで、鉄の塊にカメラを向けることなんぞやりたいと思ったこともなかったが、それを一変させる日の出来事はちゃんと鮮明に覚えている。
時は5年半前・・・2005年の夏頃、人生ではじめて一人旅をしてみた。行先はたしかいまとなっては恒例の関西エリア。青春18きっぷ使用で、往復MLながらというやっつけ感たっぷりな旅だった。とにかくあのころは大学に入って、はじめてバイトして溜めたお金でどこかへ行ってみたいっていう気持ちのほうが強かった。向こうに着くと、京都の宇治平等院や下賀茂神社、金閣、清水と、定番観光地をただひたすら巡り歩いた。「ただ」とはいうものの、やっぱり感動しちゃうんだよね、毎度。
そこであらわれたのがケータイのカメラ。当時は真っ赤なスライド式携帯が印象的だったauのW22Hを使っていて、TVのCMとかで映っていた建物の映像を回想させるだけのために、その全景をひたすら写していた。きっと、そこで味わえる感動を再現してみたいと思ったに違いない。ここで、はじめてなにかを撮るということをおぼえたのだ。
ただ、ケータイのカメラだけじゃたりない・・・というわけで、こんどは親が使っていたコンパクトデジカメを借用し使用。ただし、日常においてなにを撮ればいいのかわからない。なにもしないまま、2005年11月を迎える。
一方、自身が一番気にしていたことがあった。京葉線の青い103系の引退だ。夏ごろ・・・たしかケヨ25編成が転入しそうになってきたころからヤバいと感じはじめ、情報を知るためにインターネットを駆使し、いろんなサイトを読み漁るようになった。そこで、当時よくみていたのが現・すし屋氏の「鉄路@102-588」なるサイト。未だ高校生ながら晩年の青い103系の情報を網羅しており、緻密な観察力も映えていたのが印象的だった。
そのサイトをみるうちに、ケヨ306編成が9月中旬、最後のスカート付だったケヨ307編成が同下旬に相次いで大宮総合車セへ廃回されたのを知り、青い103系はとうとうケヨ302編成の1本のみになってしまったんだと気づく。ただ、当時は「鉄の塊なんか撮ってなにがたのしいの?」っていう気持ちのほうが強く、バイト帰りにたまたま乗り合わせても、素直にカメラを向けることができなかった。そんな気持ちをこの日までずっと引きずってしまっていた。
2005年11月18日、ケヨ302編成運用離脱。
とうとうこの日がやってきてしまった。奇しくも、自身の19回目の誕生日であった。そして、翌々日に廃回。スジなど当時の自分には知る由もない。どう見送っていけばいいのかわからないまま、京葉線から青い103系は去った。
俺は大切なものを失ってしまった。幼少時代から一番馴染みのあった青い103系がもう身近な存在ではなくなってしまおうとは。あのときは、「鉄の塊なんぞ」というふうに電車を卑下し、幼い頃からの感動を記録に残すことなくやり過ごしていた自分がとにかく許せなかった。ひどく後悔している自分がとにかく醜かった。
ようやくここに「記録がいかに大事であるか」という精神がようやくいきづいた。
「好きなものを失って後悔するくらいなら、後悔しないほどにやり遂げればいい」・・・このポリシーはここからはじまったのであった。それを知ったうえでの、ケヨE15編成の廃回参戦。自分自身が成長していくうえでの第一歩だった。
ヘッドライトをつけるとこんなんでねの?
E657系甲種

▲11.5.23 内原にて撮影(後追い)
9371レ 常磐線新型特急車両となるE657系カツK1編成。
新車厨の名にかけて、一目見ようと行ってきた。
かつて運用されていた485系を彷彿とさせる色使い、そして側面に水戸偕楽園の梅をイメージしたピンクのラインが入れられて・・・と。E653系みたいな感じで、カラフルな編成を期待していたんだけど、なんだかがっくし。
それと、運転席の窓ガラス部分の下にある空間。撮ったとき、種別でも表示させるのか?というふうに考えていたけど、いまRAW画像を現像して、よく見てみると・・・表示窓じゃねぇよw ただの空間やんけ。
ん、、、まぁとりあえず、ヘッドライトをつけてみないと、イメージってわかないもんねー
category: 鉄事情(その他JR)
離れゆく2人

▲08.6.17 誉田にて撮影
分割作業を終えて、ゆっくりと次第に離れてゆく付属のK編成。それを見送る基本のY編成。日中京葉線内を走っているときはずっと面と面を向き合っていた両者が顔を出す瞬間だ。
前者は東金線内へ入って成東まで、後者はそのまま外房線を下って勝浦までそれぞれ入線し、別々の場所で一晩を明かす。かつて、後者は上総一ノ宮止まりであったが、十数年前に勝浦まで延長。東浪見以南のローカル運用をも担うこととなった。
この運用も最近までは、貴重な幕式運番表示を保っていた編成も走っていたことから、晩年の頃はこれらが分割編成運用に充当されると、ひときわ注目を浴びていたのも記憶にあたらしい。
しかし、3/12に新悦E233系の分割運用がはじまると、4/5にケヨK3+53編成が廃車されたのを皮切りに、4/26にケヨK2+52編成、5/17にケヨK1+51編成と、数年前まではしばらく安泰と思っていた分割編成が相次いで廃車されてしまい、103系からつづいた分割編成の青の牙城も、もはや風前の灯状態である。
私自身、切っても切り離せなかった青との思い出を、しばらくここにつづってみようと思う。
どうかみなさま、しばらくのあいだお付き合いくださいませ。
ケヨF53+553編成 配給輸送

▲11.5.10 湯檜曽~水上間にて撮影
配9772レ 京葉線向け分割編成3本目となる配給輸送はEF81 140[長岡]が登板。
これまで約20回ほど実施されたであろう京葉線向けE233系の配給輸送を久しぶりに撮影できた。ケヨ505編成のとき以来ご無沙汰だったので、約1年ぶりの撮影であった。奇しくも、このときの牽引機も長岡車両センターのEF81 140であり、未だEF64牽引の配給輸送が撮れないw
今回の配給輸送によって、E233系分割編成が3本の陣営となったが、201系で唯一分割運用に入っていたケヨK4+54編成の処遇が気になるところだ。ケヨK1+51編成は例の大震災で脱線して以来動きがないし、検査期限を考慮せずこのまま廃車になる可能性も考えられなくもない。
いずれも、8日に確認した際にはパンタグラフがひし形のままであったので、今後の続報が待たれるばかりである。
C61 20 初対面

▲11.5.10 八木原~渋川間にて撮影
試9733レ C61 20[高運]が12系客車6車を牽引する。
同機が大宮総合車セを出場してから約3ヵ月と、いつのまにかそんな日数が経過してしまっていたのだが、この日の試運転でようやく拝むことができた。曇っていたのでヤギシブの定番へ行ってみたのだが、平日にもかかわらず20名の同業が集結。注目度の高さを感じることができた。

▲11.5.10 上牧~水上間にて撮影
試9733レ 諏訪峡のS字をかける。
渋川の長時間停車を利用してもう1発撮影。以前より行ってみたかった諏訪峡のS字でしとめる。煙がまさかのスカだったのには呆気にとられてしまったが、これからの新緑の季節にぴったりの撮影地だ。
<< 余 談 >>
渋川停の追っかけだが、関越道を使ってもR17を使っても、所要時間はあんま変わんねぇんじゃね? 月夜野IC以外、双方の接続が悪く、関越道からR17に復帰するのにかなりロスタイムが発生してしまっており、高速代がもったいない気がする。反省。
ネタ切れ?

▲11.4.15 八王子にて撮影
工9475レ 深夜の八王子駅にたたずむEF64 39+ロンチキA編成13車。
・・・ではなかとです。ここ数日間つづいた予約投稿にお付き合いいただきありがとうございました(笑)
というわけで、突如ロングレールの荷卸を目撃したくなって、仕事明けで出撃してきた。


中央道双葉SAで仮眠したあと、念願のロングレール荷卸現場を動画で押さえてきてしばらくすると、「工臨が新府の駅まで入線してくる」とのことであったので、ここでパシャリ。荷卸後は直前の閉塞信号機まで移動し待機するとは聞いてはいたけれど、まさか駅構内まで入ってくるとは想定外。
ちなみに、現場は穴山~新府間の上り線の有名なお立ち台付近でした。なんかの機会にでも再訪できれば。

▲11.4.16 笹子~初狩間にて撮影
工9476レ 大カーブをゆくロンチキ工臨返空。
こちらも念願だった初狩大カーブ俯瞰での撮影。あともう1時間くらい遅く来ていればとも思ったが、あんまり贅沢はいえない。こういう数少ないチャンスをどういうかたちでモノにしていくかが大事なんだ。そして、一瞬に懸けるこの思いがすべてを掌握する。
まぁ今回は場所選びが甘かったかなっていう感じで、次回につなげていきましょ。
プレハブ氏、クソ眠いなかサンクスでした。
ばんもの初撮影がD51とは
583系 「あいづライナー」代走
きたぐに その2
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